諍い
今日は、珍しく父親と諍い。
私の持ち物の入った段ボールを父が無断で倉庫に運んだことに、悲しくなり、
『実家に帰ってきてすみませんでした、一人暮らしします、でていきます』
と、言ってしまった。
父親に、どうして勝手に倉庫に運んだのかをきいたところ"邪魔だったから"とのことだった。
確かに、廊下に段ボールを置いてはいたのだから邪魔だったのかもしれない。
それを、処理できず、自分の存在が邪魔なのだろうと思った。
父親も、邪魔だったからと言い訳を繰返し、謝ったり正当と思える理由をきけなかった。
人の荷物を無断で触ることは私はできないけれど、父親にとってはそうではないらしい。
片付いた片付いたと、自慢げな様子だった。
父親の部屋はきれいに片付いている。
私の部屋に不要なものを移していたからだ。
その不要なもののせいで私の荷物が私の部屋に入らない。
だから、私の荷物は廊下に置くしかなかった。
それも、言い訳なのだろうか。
自分の存在が邪魔なのかと、考えてみた。
わからない、けど、役に立たないから邪魔なのかもしれない。
直接的でないにせよ、私は邪魔だと言われているのか。
もし、尊重される個人であれば、許可もなく、荷物を倉庫に持っていかれたりはしないのだ。
私は、尊重されるに足る存在になれなかった。
勝手に、持ち物を捨てられたり、移動されたりする。その程度の価値しかないのだ。
考えて考えて、どうして私には、解離人格がいないのか、と、そんなことを考えてしまった。
頭が痛くなるくらい考えたけれど、当たり前だが誰かが出てきてくれたりはしない。
イマジナリーフレンド、がいたとしても、所詮幻想でしかなくて、都合よく人格が代われるわけがない。
病気を羨むなんて。
考えて考えて、少し布団を被っていたら、ふっと気持ちが上に行って、どうでもよくなった。
これをどう表現して良いかわからないけど
脱皮
みたいだと思う。
悩んで苦しんでもすぐに、皮を脱いで、脱いだものを忘れてなんにもない自分になれる。
記憶も感情もそうだ。
すっとしたあとは、荷物を倉庫からもとに戻した。
それだけでよかったのだ。
尊重されないのも、邪魔な存在なのも、わたしが悪いのだからしかたないのだ。
家は、仕事を決め、できるだけ早く、出ていこうと思う。
この家は父親の持ち物なのだから当たり前だ。
私には、どこにもいていい場所がない。
それは、昔からきっとそう。
いていい場所がないから、自分がわからなくなるのだ。
一人の世界を一人で歩いているような気持ち。