人の話を聞かないひとは人の話を聞く権利がない
こんばんは🌙😃❗️
今日はちょっと暑いですね、蒸しています。
今日はちょっと元気です。
かわりにイライラとしています。
親にしても医者にしても、私に説教なり注意なり心配なりお願いなりしてくるんですけどね、
今まで人の話を聞いてこなかったくせにどうして自分の話は聞いてもらえると思うの?
と、キレています。
もちろんひとりで。
私が、悩もうと苦しもうと相談しようと興味もなかったくせになぜ自分たちの言葉を聞いてもらえると勝手に期待するのか。
わけがわかりません。
こちらが話しかけたところで、
スマホのゲームしながら、
テレビを見ながら、
適当に「ふーん」と流したり、
「そんなに気にしなくてもいいんじゃない」と適当にあしらったり、
「きっとなんとかなる」とか適当に拾った言葉を返したり
「あっ、ほらセイウチが泳いでる」なんてテレビの話題にそらしたり
そんなことしてきた彼等の言葉をなぜ私が、私だけがまともに聞くと思うのか甚だ疑問です
私は、「私の名前」「私の顔」「私の役柄」しか知らない、興味もない他人と変わらない人たちに、嫌悪感を抱いています。
親が求めているのは、「娘役」の私であって「個人」としての私には全く興味がないのです。
ご機嫌をとるように、服やお菓子を餌のように買い与えて、私はペットかなにかでしょうか?
親は「家族ごっこ」のパーツ程度の気持ちで子どもを作ったのでしょうが、残念ながら私はおもちゃではないのです。
自分の都合の良いときだけ愚痴話を聞いてもらえるサンドバッグではないのです。
我慢も限界です。
親は私を「自由に育った明るくてわがままな娘」と思っているようですが、
その役を演じるのにどれだけの我慢をして来たのかは知らないです。
まともに会話すらしてもらえないで育った人間が、どうして他人と会話してやらなきゃいけないのか。
なぜ相槌すらまともにうってもらえなかった人間が、相槌をうたなきゃいけないのか。
もうたくさんだ!
誰一人私の話もきいてこなかったくせに、どうしてああしろこうしろと指図されなきゃいけないのか。
私が相談しても全部病気のせいにして、相談にも乗らない
病気になる前から、話なんかきいてもらったこともない。
だから、私にも話を聞く義務はない。
仲の良い家族ごっこをするのに良いように使われただけの存在。
わたしの存在価値は存在することにしかない。
わたしの、思っていることや感じていること、好ききらい、人生にはなんの価値もない。
ただ、「存在する」だけにしか価値がない。
誰にとっても。
家族にとっては数あわせ。
「子ども役」として存在するということにしか価値がなくて、他のことはどうでも良いこと。
わたしの中身が明日からエイリアンになっても、親には関係がなく、中身とは関係なく「在る」ことしか価値がない。
私は、私に価値があるとは思わないけれど、そんな親の自己満足のために生まれたのなら、親にとってはとても不運なことだったろうと思う。
兄弟はそもそも、親と会話しないことを選択した。会話しても不毛だから、しないと決めているようだ。
親はそれに愚痴を言うけれど、そういう賢い人間だけが子どもであったなら、親も自覚ができただろうに。
他人の話を聞くべき時に聞かない人間は、他人に話を聞く権利がない、ということに。
親は「家族だから聞かなくて良い」と思っているけれど、そういう人間を軽視すると言うことは、軽視されても仕方ないということに。
私は、諦めがつかないけど、ここからは早く去りたいと思う。
実家から出たい。
11月から今までで、もうここには住めないと思った。