ココイナ~解離と離人と夢の中で~

解離性、離人、現実感の喪失と、消えるだけの毎日について

世界と私の間

こんばんは

ブログ放置しました\(^o^)/

 

解離や離人症や過眠症についてなにか書くような出来事が特別にあるわけではないので、よいのです😀

解離も離人症も過眠症も、日常というか私にとっては普通の毎日なのです。

 

解離性障害かどうか、医者はそうだというし他に現状合う言葉がないのでそうだと自認していますが、感覚的にそうじゃないときがあまりないので、「解離性障害つらいわー( ´Д`)」みたいなのは、あんまり強いほうではないみたいです。

 

解離性障害じゃない状態で他人は生活している

人は現実を現実感の中で生きている

 

っていうのが自分のこととして理解できないのがつらいけれど。

 

現実感のない現実は、現実感のある現実よりも私はたぶん幸せで、現実感のある現実が毎日来るとしたら死ぬしかないですね(笑)

まず、いつか来る「死」が怖くて、自殺すると思います。

誰かに殺されたりする、自分の選択もなく突然奪われる形で死ぬのが怖くて怖くて。

自分で選べるうちにと自分で死にます。

また、死んだあと自分が無になるのが怖くて、自殺しますね、矛盾だけれど。

 

稀に、現実感が月に何回かわずかな時間来るときがあってそのときは

死ななきゃいけない!死にたくない!殺されたくない!もっと生きていたい!

だから自殺をしなくちゃ!

と、錯乱します。薬が合わない時期だと特に。

 

私は自殺未遂の結果でHCUに意識不明で気管挿管(管入ってると勝手に呼吸してくれる、ただ会話不可)され、機械をつけられて、HCUのベッドが並ぶなかで一番処置室側のベッドに置かれていたそうです(いつ心臓止まるかわからないので)

 

それも親から聞いて、そもそも自分が自殺しようとした記憶すらなく知らないうちに勝手に自殺未遂したみたいで、

自分が死のうとしたことも覚えてないし、入院したことも覚えてない(笑)

 

それはどうでもいいのですが、そのときに胃洗浄間に合わなくて薬が吸収されてしまってて、しかもその薬が抗うつ剤の中で古い種類の薬で、自殺マニュアルにあるような薬で、つまり本当に死にかけたのですが、

 

心臓に負担が。

 

ODはその対価に命を支払います。

ODすれば体に負担をかけます。

寿命を払っているようなもんです。

 

私はODの結果心臓への負担をかけました。

いつ心臓にかけた負担が返ってくるのかわかりません。でも高齢になるほど、返ってきます。

なのでいつ自分の心臓が発作を起こすかは、わかりませんが、そういうことをしたツケは返ってくるのだと思います。

 

すでに帰ってきたのは、気管挿管で喉に負担をかけ、今は喉の一部が硬化していて、違和感や咳、歌が下手(これはもとの下手さからさらに!)というように返ってきてます。

 

話それました。

 

そういう返ってくるであろう心臓へかけた負担、が、怖いのです。

現実感がないから夢の話のようにふんわりとぼんやりと感覚もなくなにも感じずいられますが、現実感がある状態でそんなのを考え出すと『しにたくない!しにたくない!しにたくない!』と、もう涙して暴れるほどに死ぬのが怖くなり自殺したくなるのです。

 

解離してないときの方が、感覚もはっきりして頭もはっきりして、現実は見えますが、

 

解離してないと生きてはいけないみたいです、これは甘えですが💦

 

 

ただ、解離のせいでIQが低いせいか、もしくはイマジナリーフレンドのやり取りの影響で頭がいっぱいなのか、

仕事ができない!

使い物にならない!

 

大人数の前で叱責されたり、派遣を切られ(たった2ヶ月)、モップの持ち方で怒られたり、椅子をさっき拭いたかわからなくなって何度も拭くのです。

 

解離とか離人症なかったら、こういうのも直るのかなぁ???

 

離人症や解離がなくなれば、みんなと同じ世界にいきれるかもしれないけど、デメリットが大きすぎてどうすれば幸せなのかがわかりません😅