私には、過去の思い出がない。
私には、思い出がない。今までもなく、これからもたぶんない。
思い出をつくる機会がなかった、という意味で思い出がないわけではない。
思い出を頭の中に取っておくという機能が欠如しているのだ。
ここへは繰返し、同じことを書いているだろう。
このブログの一番上が固定できるならば、まとめてそれだけを書いて後は細かいわかったことを書くだけですむのだが、いまいちできていない。
ここを解離性障害の方や離人症性障害の方が見ることはあるのだろうか。
わからない。
しかし、もしもなにかを誰か必要としている人に伝えることができたなら、ここの存在価値もできるのだろうか。
最近は、調べたことをノートに書き留めることにしている。
⏺️解離性障害で失われる記憶は、『自伝的記憶』、つまり『エピソード記憶』と呼ばれる自分に関する記憶だ。
⏺️意味記憶や手続き記憶は、喪失されない。
つまり、私の過去の記憶、私が何年何組だったとか、担任の名前(これがかなり曖昧なのだが)、学校で怒られた、といったことについては、
私の解釈では『自伝的記憶』ではなく『意味記憶』として頭に残されているようだ。
だからこそ、誰も私の記憶がなかったことに気付かなかったのだが。
小学生のときに、隣にすんでいた同級生の名前がわからなくて、母親がそんなことも忘れたのかと、驚く。
名前は、かろうじてそんな名前の人がいたなとわかる。
だけれど、記憶にない以上は他人である。
私の記憶にはなくて相手の記憶にはある、こんな気持ちの悪いことがあるだろうか。
そして、私の解離は現在進行形で記憶を削り落とす。
死ぬまでそういう人生だとしたら、残念なことだ。
宝石の国、というアニメがある。
宝石は、身体の一部を失うとそのぶんどこかの記憶が消える
私は、色々と失って記憶が消えているのだろうか?
と、考える。