突然事故に遭って死ぬくらいなら
引っ越し準備が進まぬ( ´~`)
引っ越し準備が進まぬ( ´~`)
引っ越し準備が進まぬが、最近は甘酒を飲み始めました。
引っ越しのときに捨てるものは迷いますね☹️
昔取り憑かれたように毎日毎日何時間日記を書いていた頃があって、その頃は入院したり警察がきたり救急車がきたりと本当に多くの方に迷惑をかけてしまった時期なのですが、その頃の日記段ボール一個ぶん。
読み返すことも怖くて
でもちょっと読み返しても他人が書いたみたいにしか感じず。
当時を思い出すこともなく、
「あーこれ書いたやつ大変だなぁ」
とか。自分事なのに全然知らないことばかり。
南条あやさんみたいに人になにか伝わるようにできたらとか当時は思っていたのかな(漢字合ってるかな💧)
日記を文章下手すぎて読んでも意味わからへん。
こんなの人には見せられませんわ!
むしろ燃やせ!
そういえば、もう南条あやさんを知ってる世代って若くないのかな(@_@)
彼女は死んでしまって、自殺なのか事故死なのかも、もう本人に聞くこともできないのだ。
生きていたら、幸せだったのだろうか?
じゃあ、
自殺って悪いことなのだろうか?
私は、あまりそうは思わない。
死ぬ手段が問題なのであって、自分で死ぬときを選ぶことはきっとその人の権利だ。
国が自主的な安楽死を認めてくれてそのために施設を作ってくれたらいいのにと思う。
電車を止めたり、硫化水素炊くくらい迷惑かけるならさ、病院とかで薬で楽に死なせてあげたらいい。
首をつったのを家族が見つけるよりも、その方がいい。
私は、ときどき、生きていることが怖くなる。
死ぬことが怖いのだ。
だから生きていることが苦痛なのだ。
交通事故に遭って即死じゃなくて壁との間に挟まれてごりごりと車が自分の体を削っていくのを想像する
医療ミスで歯茎に変な薬を塗りたくられて激痛に苦しむのを想像する
喉にコンクリートを詰められて窒息するのを想像する
なにかの犯罪に巻き込まれて虐待されるのを想像する
草刈り器の刃が壊れて自分にとんでくるのを想像する
核爆弾が投下されて全身が焼けただれるのを想像する
そういう想像が止めれなくなるのだ。
そういうときはたぶん、現実がいつもよりも近くにあるときで、普段は現実が遠いので考えないのだが
死ぬのが怖いから自殺したいのだ。
ああ、あのときに自殺しておけば良かったと思う瞬間が来ることが怖いのだ!
例えば病気になって治療もできない病気だったら、たぶん「生きたい」と、強く思って生き延びようとするだろう。
そういう死であっても、死ぬ間際はやはり苦痛のなかで死ぬ。
死ぬとはそういうことなのだ。
生まれた意味なんてなくて、偶然生まれて、生まれてしまったら死ぬ。
死ぬことが怖い。
死んだら自分がいなくなる。
誰にも愛されずに世界になんの意味もなくなんにも残せずに。
愛されてもなにかを残しても、そのことに死んだ自分は無関係。
死ぬときに、死ぬ方法すら選べずに、苦痛に満ちて残酷に殺されても、そのことに意味もなく、結果的には自分がただ世界にいなくなってなんにも感じなくなる。
その世界もいつか寿命が来てなくなる。
そのことが苦痛なのだ!!
死にたくはない、でも死ぬのだ。
苦しいのは嫌だ、でも苦しいのだ。
死ぬ間際にぐちゃぐちゃにされて激痛のなか死ぬことは選びたくない、でもそうならない保証なんかどこにもない。
ただ自分がそうならないとみんなが信じている。
どうしてそう思えるの。
今生きていることだってただの偶然なのに。
だから、死ぬときは自分で選びたい。
苦痛が少なくすむように、自分で死にたいの。
苦痛が少ない死に方なんて実際はほとんどなくて
薬を使ってもなかなか死なないし死んでも大半は吐瀉物の窒息死。
それでも、ましな死に方ではあるはずだ。
足から機械に挟まれて巻き込まれるよりは。
生きることは本当にそういう恐怖との戦いです。
死んで無になることは、怖いけれど、それはどんな死に方をしても同じだから、
せめて死ぬときは自分で自分のタイミングで死にたいのです。
日本でも安楽死を合法化してくれないかなぁ( ´Д`)
毎日毎日怖いです。